妙号岩について

烏原~妙号岩について~

烏原の妙号岩(みょうごういわ)は、明治元年に極楽寺の第二十二世住職 修誉諦善和尚が独力により完成させました。

当時、烏原谷を街道として往来していた人たちは、山賊に遭ったり洪水などで命を亡くした人たちが少なくなかったのです。
このような人たちの供養のために妙号岩は制作されました。

この妙号岩は、烏原原里道の西崖 縦十九間余り(34.5メートル)、横二十三間余り(41.8メートル)の断崖に一字四方四尺余り(1.2メートル)の知恩院門跡「福田行誡上人」筆の名号を彫刻したものです。

故谷口亮悦画伯 (神戸市北区西小部)

極楽寺に残る行誡上人筆の名号『佛』の字の左肩に六の数字があります。
佛の字は名号の六番目にあたることを表しています。

現存しているのはこの『佛』の字だけであり他の字は不明です。

福田行誡上人(ふくだぎょうかい)

文化六年(1809)~明治二一年(1888)

蓮社立誉晋阿。知恩院七六世、増上寺七〇世。
明治維新の廃仏毀釈の困難な時期に、各宗派の信頼を受けて活躍し、仏教破壊ぼ危機を救った明治の代表的仏教者。

浄土宗に属し後に増上寺・知恩院に進み浄土宗官長になったが、宗我にとらわれず仏教学に通じ各宗の人々との交遊が厚く数々の業績と名声を残し学徳一世を風靡した。